岡山県総社市ってどんなところ?
備中国分寺の重塔(国の重要文化財)
聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つです。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されました。境内にそびえる五重塔は、県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっています。
備中国分寺五重塔は、弘化元年(1844)ごろに完成し、34.32mの高さがあります。この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔です。 また県内唯一の五重塔でもあります。
塔内は初層内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置しています。天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしています。絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文です。国指定重要文化財。
鬼ノ城(日本100名城)西門
鬼ノ城の地名の由来
鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
鬼ノ城の構造と規模
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻だが頂部は平坦である。この山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っている。
城壁は、一段一列に並べ置いた列石の上に、土を少しづつ入れてつき固めた版築土塁で、平均幅約7m、推定高は約6mもある。要所には堅固な高い石垣を築いており、その威圧感は天然要害の地であることとあわせ、圧倒的な迫力をもっている。このように、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m~数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴がある。
城壁で囲まれた城内は比較的平坦で約30ヘクタールという広大なもので、4つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられており、また、出入り口となる城門が4ヶ所にある。城内には、食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡やのろし場、溜井(水汲み場)もある。
この他に城内には貯水池とみられる湿地が数ヶ所ある。さらに兵舎、各種の作業場なども予測されるが未発見である。